上野2日目、朝ごはんはホテルと直結している珈琲館で。お客さんは見た感じ、ほぼ中国系アメリカ(またはカナダ?)人2-3世代で旅行している方達でした。子供が英語、または子供と両親が英語、おばあちゃんおじいちゃん世代が中国語、みたいな家族ばかり。そのせいか、店員さんが普通に英語で対応しておりさすが観光地、と感心してしまいました。
この日は上野駅で夫の両親と待ち合わせ、皆で上野恩賜公園まで歩きました。公園から2組に分かれ、私と義理母は旧岩崎邸へ。ボーイズ達はこの間ずっとシノワールでまったりしていたんだそう。
両親のお勧めで行ってきたのですが、旧岩崎邸が素晴らしすぎてですね。今思い出しても気持ちだけ別世界に飛んでいけます。
こんなに美しくて歴史ある建物なのに、とても空いておりました。私と義理母があまりにも熱心なもので、専用のガイドさんみたいな方がとても詳しく説明してくれて、そのお話がとても興味深かったです。1896年(明治29年)に建てられたのに、戦争と関東大震災で残ったのはどうしてですか?の質問からどんどん発展していって。
明治29年築。地盤がレンガと鉄で出来ているそうで関東大震災直後、5千人にが一時避難してきたそうなのです。財閥の力で船で日用品を東京に運び、避難してきた人々に配ったりもしたそうで。関東大震災の時は、周りの森のおかげで火の手が回ってこなかったそうなのです。
そして三代目の岩崎久彌氏が素晴らしすぎて(涙)明治21年にペンシルバ大学に留学、6年経営学を学んだバックグラウンドがあり、若い世代への教育、次世代に繋がて行く未来の人員への投資の精神をこの時代に発揮しており、私の語彙力がなくてアレですが、凄いの一言です。
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中庭へと続くバルコニーのタイルはイギリスのミルトン社の象眼タイル。明治9年頃の物だそう。日本最古の水洗トイレも、陶器で有名なロイヤルダルトンだったのが面白かったです。義理母と、ねぇ、ロイヤルダルトンて書いてない?と(笑)
家の至る所に暖炉があり、なんとこの時代にガスの暖炉。マントルは鳥取で採れた大理石を使用しているそうです。この天井の刺繍は京都の職人さんが手がけたそう。
後ろに見えるのが別邸のビリヤード部屋。ここに行くのに秘密の地下トンネルで繋がっていあり、遊び心、ロマンがいっぱい。
↓こちらは金唐革紙という壁紙。
和の館に繋がっています。
和の館でお抹茶と練切が頂ける席がありました。時間がなくて寄れなかったのが残念です。このお屋敷でどんな暮らしをしていたのだろうな、と思いをはせながら岩崎邸を後にしました。素敵な1日でした。