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ミモザ 107歳ピアニスト照子さんのストーリー

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先生の本が届きました。先生のお言葉、お喋りしている可愛らしい声が聞こえてくる。絵も先生の物だったらいいのになぁと思っていたけど、こちらもとても素敵。絵はDasha Mussienkoさんという方の作品。息子の公園のお供に。


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先生、私もです。一番最初にレッスンに通っていたおうちは横浜でしたね。通っていた高校も横浜にあったので、高校生になってからは制服のまま、学校帰りにレッスンに行って。帰りの電車が通勤ラッシュで、楽譜と学校の教科書を入れたカバンの重さが身に染みた思い出。帰りは自宅の最寄りの駅からの道のりが大変すぎて(まったく普通に歩ける距離だったのに)母に自転車で迎えに来てもらって、カバンを運んでもらった思い出。なぜか車ではなかったのだけど、あの頃は駅のロータリーがなかったのかもしれない。いや、あったのかな?!記憶が曖昧・・・そして私はいつの間にか、もうすぐあの頃の母と同じぐらいの年齢になる。

 

我が家は外食をほとんどしない家庭だったのですが、小さい時の祖母と一緒の家族のお出かけと言ったら、横浜の中華街、華正樓か、今はなきロシア料理のロゴスキー。ピロシキと、食後のキイチゴのジャムと一緒に飲むロシアンティーの思い出。前回帰国した時に行こうと思って張り切って調べたら、もうなくなっていました・・・確かジョイナスか何かの地下通路っぽい所にあって。薄暗かった店内、懐かしいなぁ。

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家のど真ん中のこのお風呂、覚えています。日本なのにこういうバスルームで。シャワーカーテンの柄まで思い出しました!おじさんが体操しているやつ。

1歳のお子さんをぎゅっと抱きしめて、家の前でいってらっしゃい、と戦地に向かう旦那さんを見送って、それっきり帰ってこなかった事など。この辺りから涙なしでは読めなくなってきてしまった、公園にいるのに。先生が、息子さんが大きくなるまでは、とピアノを教えて生計を立てていたお話、息子さんが大きくなってから再婚されたお話など、されていたっけな。

 

先生がよく言ってらした言葉。

神様によくお祈りをする

「今日死ぬ人がいたら私を代わりに天国に」と

朝と夕べに感謝の祈り

 

こちらは英訳の方がしっくり心に響きました。私も、いつかこの世の中を去った時に、息子にこんな風に思ってもらえたらな。

My father and mother are still living

I cannot see them

But I feel them living

 

Life is not bad

Everybody is generous

If you count your happiness

you become happy

 

I want to be remembered as a Happy Person


先生にお会いすると、幸せな気持ちになって家路に着くのです。当時の先生は80代。レッスン帰りの普段の風景が別世界に見えるような。だから皆が慕ってレッスンに通い続けていたのかな、と今になって思います。107歳になってもこうやって、私は幸せって気が付かせてくれる天使みたいな先生。

 

私の祖母は97歳。シニアホームにいるのだけど、やっぱり体も思うように動かないし、もう充分生きたからって思うのに、天に召されるまではあちらには行けない。それが本人は一番辛いと思う、と母も言っていて。

 

素敵な本と先生の言葉に、このタイミングで出会えて本当に嬉しい。忘れかけていた思い出の引き出しも、ついでにわーっと開きました。心の記憶はしっかりあるつもりになっていたけど、たくさん忘れていました・・・

 

 

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